OPEN
HOSEI Orange Community
2024.06.13
インタビュー

卒業生インタビューVol. 18 入船亭扇七さん

――自己紹介と法政大学卒業から現在に至る経緯を教えて下さい

 入船亭扇七(いりふねていせんしち)、本名は鈴木崇広と申します。2012年3月、法政大学法学部国際政治学科を卒業しました。卒業後、NHKにアナウンサー職で入局(研修後、福井放送局に配属)。 アナウンサーの仕事に不安を感じ、一念発起で落語の世界に飛び込みました。前座修業を終えて、2024年5月より、二ツ目に昇進。ようやく半人前のスタート地点に辿り着いたところです。

 

――学生時代の取り組みについて教えて下さい

 学生時代は、社会経験を積みたいと思い、様々なアルバイトをしました。パチンコ屋、早朝コンビニのレジ、百貨店販売員、アパレル店員、ガソリンスタンド、イベント会場整理、国政選挙のお手伝い、イタリアンレストラン等々。

 当然の事ですが、どの会社にも、それぞれの就業規則やルールがあるんですよね。例えば、髪を染めてもいいという会社もあれば、黒髪でなければダメだという会社もある。これから社会に出ていく上で、「郷に入っては郷に従え」ということを学生のうちに身をもって知れました。

 また、学生時代、一番の思い出は、自主マスコミ講座。私の人生が大きく変わった学び場です。テレビ局への就職は高校生からの夢でしたので、3年生の春、自主マスコミ講座の試験を受けました。当初は、放送コースに入ったんです。アナウンサーコースは不合格だったんですよ。悔しさは勿論ありましたけど、「自分がアナウンサーになれる」という自信もなかったので、学内試験で勝てないようでは難しいだろうなと、納得の結果でした。

 それから1か月後、アナコースの学生が何人か辞めたんです。「他コースから、アナコースに移籍したい者がいれば、追加試験を行う」とお声がけがありました。移籍の権利を得た訳です。

それでも「自分は春の試験で落ちた人間だ」と思うと、アナウンサーコースの教室の扉の前で足がピタっと止まって、動けなくなってしまった。完全に身体が硬直してしまったんです。

 その時、職員の勝又さんが私の背中を思いっきり叩いてくれました。「アナウンサーコースにいながら総合職の試験も受けることは出来る、けど、放送コースで学んでアナウンサーの試験に受かるのは難しい。アナ試験は特殊だから。少しでもアナウンサーになりたい気持ちがあるなら、行け」と。あの言葉で、ふっと身体の力が抜けました。

 

――自主マスコミ講座での学びはいかがでしたか

 そこからの1年間は、寝る間もなく、本当に忙しかった。「せっかく頂いたチャンス、自分の人生がかかった一年」だという責任感がありました。バイトも減らして、恋愛や友達と遊びに行くのも、全部セーブして就職活動に捧げました。毎週土曜日が自主マスの授業で、課題が出るんですよ。自己PRを作ってきなさいとか、ラジオパーソナリティになったつもりで5分間フリートークをしてもらいます、とか。

 私は、A4の大学ノートに、考えをまとめて準備しました。お笑い芸人の兵動大樹さんが、フリートークは一回紙に書いて頭の中を整理する、と言っていたのを参考にしました。あれだけ話術に長けた方も入念な準備をしているのだから、学生の自分は、もっと準備をしなければならないだろうと。

 ノートの頭に面接で想定される質問を書く。例えば「自己PR」とか「志望動機」とか「オリンピックでどんな仕事をしたいか」など。質問に対する答えを、その下にバーッと、書きなぐるんです。何度もやっているうちに、段々頭の中が整理されて、精度が上がっていく。ノートは最終的に3冊くらいになりました。おかげで、面接は、落ち着いて臨むことが出来ました。 その様子が狂気的に見えたんでしょう。法政OBでNHKアナウンサーの小松宏司先生に「デスノート」を書いているみたいだと言われました(笑)未だに、講座生には、デスノートの鈴木先輩と、お話されているようです。

(卒業式では司会を担当。
左は、元日本テレビアナウンサー久野静香)

 

――現在のお仕事内容について教えてください

 前座修業中は、一日も休みがありませんでした。落語家は勿論「喋る」商売ですが、最初に師匠から言われたのは「喋るな」です。「落語は省略の芸だ。余計な事は喋るな」と。

 1年半の間、前座見習い修業をしました。朝、師匠のお宅に行って、掃除やおつかい、着物を畳んだり、カバン持ちをしたり、師匠の身の回りの事をさせてもらいます。夕方からは恵比寿の居酒屋でアルバイトをしました。

 前座として楽屋入りしてからは、毎日寄席に行き、楽屋仕事。師匠方の着物の着付けについたり、着物を畳んだり、太鼓を叩いたり、お茶を出したり、ネタ帳を書いたり。高座にも上がります。十人寄れば気は十色とは正しく、師匠方それぞれに好みがある。その好みを覚えて、気遣いを学ぶのが修業です。一般人から「噺家」に生まれ変わるには、必要な時間だったと思います。六年一か月の辛くも貴重な時間でした。

 二ツ目に昇進してからは、前座の間にしていた楽屋仕事からは解放されます。嬉しかったですね。今は、各寄席や落語会にて、出番を頂いております。毎日、落語をして、おしゃべりが出来る、とても幸せなことだと思います。

 

(前座修業中の一場面。時間配分を差配するのも前座の仕事)

 

――落語の魅力について教えて下さい

 滑稽話が基本ですが、人情味も悲しみも、人間の汚い部分も優しさも、喜怒哀楽全てが詰まっているのが落語の魅力です。私が最初に感銘を受けた落語は「三年目」という噺です。

「あらすじ:商家の仲睦まじい夫婦、奥さんが病気で死期が近いが、死ぬに死ねない理由がある。それは、死んだあと、あなたが後妻をもらって可愛がるのだと思うと切なくて悔しい。そこで旦那は、生涯お前しか愛さない。それならば幽霊になって出ておいで、そうすればもし後妻を貰うことになっても驚いて逃げ出すだろうと伝える。

 安心したのか妻が亡くなる。後妻をもらうが、一向に先妻の幽霊は出てこない。後妻との間に赤ちゃんも生まれ幸せに過ごしていたが、三年が過ぎてようやく出てきた先妻の幽霊。「なんだっていま頃、出てくるんだ?」その理由とは・・・」

 おかしみもあり、純愛要素もあり、時が過ぎれば次第に忘れていく人間の習性も表し、女性の繊細さや、意地っ張りなところも。

 幽霊は勿論見たことありませんが、頭の中に自然と景色が浮かび、色々な感情が駆け巡りました。落語って面白い、と思いましたね。幽霊が出てきますが怪談要素はありませんので、怖がらずに是非、聞いてみてください。

 お客様と一緒に作り上げる芸能です。高座の上には、座布団一枚。着物姿の噺家が、扇子と手ぬぐいだけを持って、何役も演じ分けながら、噺の世界に誘っていく。お客様が、景色を頭の中に浮かべて想像し、心を動かす。こんなシンプルで、素晴らしい芸能はないと思います。

 

 

(高座での一枚)

 

――なぜアナウンサーから落語の道へ転身されたのですか

 これはよく聞かれる質問です。お恥ずかしいのですが、いまだにはっきりと答えるのが難しい。幾つもの要素や考え、これまでの人生経験が重層的に重なって、ここに辿り着いたからです。会社を思い切って辞めたのは、直感というか、20代の若気の至り、のような所もあります。でも、後悔は全くありませんし、本当に、今の生き方を選んで良かった。自分を素直に肯定出来るようになったんです。アナウンサー時代は、今一つ自分に自信を持てなかったんですね。

 NHKでは、ニュース、ラジオDJ、中継リポーター、スポーツ実況、旅のロケなど、多岐に渡って仕事を経験させて頂きました。「情報」が主役ですから、常に客観的でいなければなりませんし、言葉と一定の距離を保って仕事をします。自分の外側に言葉を置いている感覚でした。そういう中立的で、俯瞰的でないと出来ない仕事です。

 一方で、怖さや不安があった。もっともっと、言葉との距離を詰めて、生ものとして、生き生きとした瑞々しい日本語に触れたい、喋りたいという欲が湧いてきました。

 落語は何役も演じ分けますけど、こちらも「噺」が主役ですから、入り込みすぎず、俯瞰的に喋らないといけない、その点はアナウンサーと同じですね。

 でも、落語の言葉は自分の内側から出てくるものなんです。最初は勿論、お稽古をつけてもらって、台詞を覚えます。ですが、何度もやっているうちに、次第に、自分の身体に馴染んでいく感覚があります。そこは、アナウンサーと大きく違うところですね。

 目の前の光景も、カメラではなく、お客様。今、正にライブで喋って、ダイレクトにお客様の反応が返ってくる。同じ噺でも、お客様の反応を見ながら、台詞は少しずつ変えています。自分の人間性や技術が、そのまま反映される。噺家はとても難しい仕事だと思いますし、勉強の日々。この学びが生涯続いていく、と思うと不安もありますが、ココロオドル気持ちのほうが大きいです。

 思い切ってこの世界に飛び込んで本当に良かったです。

 

――今後は、どんなビジョンを描いていますか

 前座の間は、自分の時間がありませんでしたので、噺の稽古をしっかりして、持ちネタの数を増やしていきたい。精力的に会を開いて、技術を磨いていきたいです。滑稽話が好きですが、人情噺や怪談噺などにも、これからは取り組んでいきたいと思います。歌舞伎やお芝居を見て、勉強もしていきたい。やることは山積みですね。ナレーションやリポーターなど、声を使う仕事も、機会を頂けたら、また出来たらいいなと思っています。

 特異な人生を歩んできましたので、母校・自主マスコミ講座からオファーがあれば、いつか学生に自分の経験を伝えられたらなとも、思っています。

 

――二ツ目昇進祝いの会に向けての意気込みをお聞かせください

 7月は二ツ目昇進を祝う会を各地で行います。7月11日は、師匠扇遊と漫才のロケット団先生をゲストに迎えての会。19日は第二の故郷、福井での単独の会。22日は、アナウンサー時代に共演した、ダイアモンドユカイさん、24日は馬場俊英さんをお迎えしての会。

7月11日のチラシはこちら

7月19日のチラシはこちら

7月22日、24日のチラシはこちら

 これまでお世話になった方々をお迎えして、お祝いの会を開催出来る事を、心より感謝しております。二ツ目昇進からが、ようやくスタートです。どちらの会も、また今後の高座も、一生懸命努めますので、是非、お越し頂けたら嬉しいです。

【プロフィール】

入船亭扇七(いりふねていせんしち)

2012年3月 法政大学法学部国際政治学科卒業

2012年4月 NHKアナウンサー職で入局

2018年4月 入船亭扇遊に入門「扇ぱい」

2024年5月 二ツ目昇進 「扇七」