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2022.12.19
インタビュー

卒業生インタビューVol. 13 三ツ野 元貴さん

――まずは自己紹介からお願いします。

三ツ野 2014年3月にデザイン工学部建築学科を卒業した三ツ野元貴と申します。

大学卒業後は東神開発株式会社に入社し、高島屋のショッピングセンターを開発する商業デベロッパーとして、主に内装管理の業務に携わりました。
具体的には、ショッピングセンターに入るテナントの内装の設計図を見て、それがショッピングセンターにふさわしい内装であるか、フロアやショッピングセンター全体の雰囲気にマッチしているか、そういったことを管理するような業務です。
二子玉川と柏の高島屋ショッピングセンターを担当しており、就職から約2年後に退職しました。

退職した後は総務省の「地域おこし協力隊」制度を活用し、群馬県嬬恋村の地域おこし協力隊として、嬬恋村観光協会にて、さまざまな観光PR事業を実施しました。
当時の観光協会は任意団体であり、役場からの職員派遣を受けていましたが、役場の職員は数年で異動になるため、観光協会における業務ノウハウがあまり蓄積されず、長期的な視点での事業計画を立てにくい組織でした。
そこで、観光協会を自立した組織とするために一般社団法人化しました。
地域おこし協力隊の任期満了後、そのまま観光協会に就職し、2020年4月に歴代最年少で事務局長に就任して、現在に至ります。

嬬恋村の風景

――商業デベロッパーから地域おこし協力隊を目指した背景を教えてください。

三ツ野 地元の三浦市のことがすごく好きで、自分の出身地をさらに良い街にしたいという想いが強かったことが志望理由です。
実は法政大学を選んだ理由も、自分の家から通えて、かつ建築や「まちづくり」などの分野を専門的に学びたかったためです。
就職活動の際にも、最終的には地元に貢献したいという想いを持ちながら就職活動をしていました。

東神開発株式会社に入社したとき、業界としては、例えば「海外の有名ブランドをいち早く取り入れる! アメリカで人気の〇〇を日本で初めてオープンさせる!」といったグローバル感が売りになる時代でした。
そういったなかで、改めて原点に戻ってみたい気持ちが生まれ、地域のためになる仕事を探しました。
そこで、地域おこし協力隊という存在が目に止まったわけです。

――地域おこし協力隊の隊員は、さまざまな自治体が募集されていますが、その中でも嬬恋村を選ばれたのは、地元・三浦市と繋がりのあるキャベツもきっかけの一つでしょうか? 

三ツ野 そうですね。私の出身は、神奈川県の三浦市というキャベツの生産地として有名な地域です。
一方で、嬬恋村はキャベツの生産量が日本一の地域です。
嬬恋村でキャベツのPR方法について学び、最終的には地元の三浦市に貢献したいという想いがありました。
また、偶然ですが、高校時代に嬬恋村を訪れたことがあったり、嬬恋村は市ヶ谷キャンパスがある千代田区との姉妹都市だったりした点にも、ご縁のようなものを感じました。

――ご自身では、歴代最年少で観光協会の事務局長に任命された理由はどのようにお考えですか?

三ツ野 地域おこし協力隊として嬬恋村に関わっていた3年の間に、嬬恋村をより良くするための提案を積極的に行っており、そういった姿勢が認められたのではと考えています。
当時20代後半だった私が、村長や副村長といった方々にさまざまな提案を行う機会をいただけたのは、とてもありがたかったです。

――嬬恋村をより良くするための提案というのは、具体的にどのようなものだったのでしょうか?

三ツ野 先ほど触れた観光協会の法人化の話にも繋がりますが、役場の職員の方々の派遣が中心だと、途中で職員の異動があるため、ノウハウを蓄積しながら取り組むことが難しいという課題がありました。
その課題に対して、観光協会の一般社団法人化を目指し、それに向けて準備を進めていきました。
他にも、データを活用したマーケティングや、インバウンドへの準備態勢の整備など、手つかずになっていることを計画的に取り組んでいきたいと積極的に提案しました。

――それでは、現在のお仕事の内容について教えてください。

三ツ野 そもそも嬬恋村は群馬県内で、温泉地として有名な草津や伊香保に次ぐぐらいの宿泊者数を誇る観光地です。
しかし、当時は観光協会が任意団体だったこともあり、嬬恋村のPRがそれほどできていませんでした。
その状況を打開するために、定期的な情報発信をしたり、訪問客向けの旅行プランを作ったりするなどの体制づくりを進めてきました。
コロナ禍において、観光PRを実施することが難しい場合もありますが、過去から現在に至るまでの裏付けされたマーケティングデータに基づき、嬬恋村という地域のポテンシャルを磨き上げる事業や、新たなツーリズムへの対応にチャレンジしているところです。


観光客の方にご案内をしている様子

――「妻との時間をつくる旅」というサイトの中で、「妻旅サポーター」として三ツ野さんが大々的に取り上げられている記事を見つけましたが、そういった街おこしの企画も観光協会の発案で実施されるのでしょうか?

三ツ野 この「妻旅」は、嬬恋村として十数年行なってきたプロモーションの一環で、愛妻家の聖地という嬬恋村の名前に由来しています。
5年ほど前に、役場観光商工課が「妻との時間を作る旅」というプロモーションを始めました。
プロモーションを立ち上げた当時から、そのプロモーションに携わらせていただき、観光協会が旅行商品としてPRしていく現在の形になりました。

――嬬恋村の外でもお仕事される機会が多いそうですね。

地域連携も重要な取り組みの一つですので、複数の観光協会が県を越えて集まることがあります。
最近は、上野駅で群馬の産直市という県主催のイベントや、千代田区の役所と連携した秋葉原マルシェというイベントに出展させていただきました。
特産品の6次産業化、お土産品の開発、特産品の販売などにも観光協会が携わっています。

都内のマルシェイベントで特産品のキャベツをPRする様子

――そういったお仕事に携わるなかで、やりがいを感じること、苦労していることについて教えてください。

三ツ野 ようやく観光協会の体制が整ってきたことにより、自分の考えや法人化した観光協会の方針が直接的に嬬恋村の「まちづくり」に貢献できていると実感することが増えてきました。
村長にも頼りにしていただき、それが地域の方にも徐々に浸透していって、さまざまな場所でお声をかけていただいたり、応援してくださったりすることにやりがいを感じています。

苦労している部分については、主に2点あり、人材の発掘と地域住民への理解を得ることです。
人材発掘に関しては、地域おこし協力隊の3年間において、そもそも地域おこしに関わる若い人がほとんどいませんでしたし、村の若い人たちはどんどん都市部に出ていってしまいます。
嬬恋村のポテンシャルや伸びしろを最大限発揮できるよう注力しているなかで、地域に根付く人材を発掘することには非常に苦労しています。
また、地域の方の中には、観光事業は自分に直接関係のないことと捉え、税金を使ってほしくないと考える方もいらっしゃいます。
観光事業の成功によって村の税収が増えて、村のサービスが維持・発展し、最終的には村のためにつながることをしっかりご理解していただくのはとても大変なことだと感じます。

――大学時代に学びの面で力を入れて取り組まれたことを教えてください。

三ツ野 地域の維持・発展に貢献したかったので、「まちづくり」や「タウンマネジメント」は積極的に学習し、地域経営の視点や中長期的な計画の重要性を学びました。
構造計算のプログラミングする研究室に所属していたので、卒業設計のテーマは、「地元の三浦市にどんな建築があって、そこにどういう機能持たせれば良い街になるか」というものでした。

――クラブ・サークルなど課外活動の面ではいかがでしょうか?

三ツ野 サークルは軟式野球サークルに所属していて、1年生の頃から学内試合に出て、3年次にはサークルの代表として活動していました。
ときには仲間を引っ張ったり、逆に仲間から支えてもらったりしながら、仲間と共に一つの目標に向かって努力してきた経験は、現在に生きていると感じます。

大学時代は軟式野球サークルで活動していました

――最後に、ご自身の今後のビジョンや目標について教えてください。

三ツ野 これまでに自分が学んできたことは、まちづくりの領域だったので、観光に関する仕事をしていると観光施設を良くすることや、多くの観光客に来てもらうことが目的のようになってしまいがちです。
しかし、そうではなくて、観光をまちづくりの一つの手段として捉え、観光の発展によって移住者が増え、街のサービスが充実したり交通の便が良くなったりして、将来的には街全体が良くなるというのが理想です。
そういった「街のため、地域のためになること」をさらに突き詰めていきたいです。 農業と観光の村と言われている嬬恋村ですが、どちらかというと農業のパワーが強い街です。
農業のパワーが強いがゆえに、ときに観光よりも農業が優先されてしまうこともありますが、キャベツを消費者に届けるという意味では、観光も農業の分野で役立つツールとして使えるはずです。
嬬恋村が、他の観光地に追いつくよう、またその過程で集まった仲間とともにマーケティングだけでなく、ひらめき、直感、など他の観光地にないような取り組みも実施し、先進的な観光地へと進化できるよう努めていきます。

【プロフィール】

三ツ野元貴
群馬県嬬恋村観光協会事務局長
1991年生まれ。2014年に法政大学デザイン工学部建築学科を卒業。
2020年4月、歴代最年少となる29歳で群馬県嬬恋村観光協会の事務局長となり、現在に至る。